あそびまなび♬ ♥の叡智と声 ♪『Styrle of the Moderation』④


2023.10月 18日~11月14 日
28日サイクルでひと月を移行するマヤの時の智恵「13の月の暦/の月」がスタートしました。
今年(2024.7月まで)のblogテーマは「command:コマンド」です。
そして今期、第4番目 の月」は「中庸について」考えていきたい、と思います。

目次

中庸

中庸は「かたよりなく、いつも変わらず」のような意味の言葉です。
例えば、対立するふたつの意見があるときに、
どちらか一方にかたより取り入れるのではなく、両方のいい点をバランスよく取り入れようとするときの「考え方」「在り方」などがそうと言えます。

(もとは、孔子に由来する儒教の言葉で、自らの思想を体系化しなかった孔子の代わりに孫の子思が体系化してまとめ、のちに「論語」になって伝わったようです)

中庸を学ぶ意義「道」

孔子の「天命を知る」という教えの中に、
天から与えられた性を育むことが人として完成する方法で、
道は目標達成のための過程。
それをはずれぬよう進むために必要な
生まれならに与えられた天命を知ることが大切。
(知らなければ、どのように進んでいくかわからず踏み外してしまう)
つまりは、天命を知ることが中庸を学ぶ意義である…そうです。

ほかにも、
「中庸」の哲学の根幹に「誠」という概念があり
(誠=自他にとって嘘偽りのない心=「真心」)
孔子は、嘘偽りのない心こそが天の道であるとも説いていて、

誠というものは天の道であり、それを素直に受けるのが人の道である。
真に誠の人は、特に勉強したり思索したりしなくても正道を得ることができ
ゆったり構えて道をすすむのが聖人というもの。
誠の人となる者は、善の道を選んでそれを固く守るもの。
…だそうです。

参考に↑
誠は天の道なり。これを誠にするは、人の道なり。誠は勉めずして中(あた)り、思わずして得、従容(しょうよう)として道に中るは聖人なり。これを誠にするは、善をえらびて固くこれを執る者なり。

とはいえ、固く無理をして…ではなく、
(孔子も15歳のときに立派な人間になるために学問を始めたけれど
思うままに言動をしても道理に背かなくなったのは、70歳の頃だそうです)

知恵や教えを学ぶこと、意味を考え理解、咀嚼する事、などは、
思考を訓練するためには重要で欠かせないことではあります。
けれどもそれもまた、中庸に…。

「自分が思ったままに行動しても、道徳からはずれず」的な…。
自由な境地への到達が、中庸を学ぶ目的?のように感じもしています。




古代ギリシャ哲学の「中間」

古代ギリシャ哲学に「中間」という言葉があります。
「超過と不足を避ける行為が倫理的な徳である」
…超過と不足を足して2で割った状態=バランスのとれた状態={中間」
と考え方で、
中国の論語にも「中庸の徳たるや、それ至れるかな」という一説が在り
「中間」と「中庸」は似た意味合いの言葉のようです。

また、
「かたよりがない(中庸である)」には、度を越さない、控える、といった
「節制」を必要とすることもあるでしょう。

何事にも、よい加減、よい程度、よいタイミングなど、ほどよさは大事な要素です。
とはいえ、それも守ろうとして、崩さぬように規律正しく、細部に目をやり…
などこだわりすぎると、行き過ぎとなってしまいます。
「最適に在ろうとする」etc.もまた、発揮しすぎて偏り過ぎないように!
も大事にしていきましょうです。



まとめ 『脳も身体も心も霊性も♥そして地球も』

宇宙が秘めた大きな目的に意識を向けて、自分に大切なもの(こと)を創ること。観えない「宇宙の運動=流動」にあがなわず、自然にありのまま受容すること。
自己の奥深くに備わる「本来在るもの」を感じること。

大切な自分リズムを自然に同調させて、選び答えを導き出すこと。
そんな自分を信頼して、一歩一歩ゆるりと共に進んで参りましょう。

We are loved♥
共存&協奏の世界を生きる私とあなたの「自己成長の旅の時間」が、健やかで在りますように。

魂の歓ぶ生き方をしたい♡そんなあなたのサポートに「奉仕」します。

 

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